| 話題名 | 返信数 | 最新返信日時 |
| 感謝!感激! | 13 | 2012/03/22 06:10:31 |
| 20世紀フォックス起死回生ミュージカル | 1 | 2012/02/18 19:29:38 |
| 大スクリーンで感動しました | 1 | 2012/02/01 15:06:01 |
| 会ったことあるよ。 | 2 | 2012/01/04 14:26:25 |
| 世代を超えて・・・ | 3 | 2011/11/04 20:20:30 |
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『サウンド・オブ・ミュージック』の投稿
感謝!感激!
1985年、大阪で「サウンドオブミュージック」はリバイバル
されたのでしょうか?
当時、私は東京に住んでおりましたが、都内3館での上映でした。
もともと、70ミリ映画として製作された作品ですので、リバイバル
の度に上映される映画館が小さな映画館になっていく寂しさを感じた
ものです。
70ミリの疑似体験をするには東京、神奈川に行かなければもう無理
でしょうか?
大阪にも20メートル幅サイズの映画館が出来ればうれしく
思います。
『サウンド・オブ・ミュージック』の投稿
20世紀フォックス起死回生ミュージカル
1963年の大作「クレオパトラ」で経営破綻しかけた20世紀フォックスの起死回生作!
その後「スター・ウォーズ」「エイリアン」「ダイ・ハード」etcヒット作に恵まれ安定してきます。
次いでにいうと前年の「マイ・フェア・レディ」に続きミュージカル映画黄金期の終焉作といった所でしょうか?
その後もミュージカルは、「キャバレー」「ニューヨーク・ニューヨーク」「オール・ザット・ジャズ」「ウィズ」「ビクター・ビクトリア」
「愛のイエントル」「コーラスライン」「エビータ」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」etc無くはないけど、
2002年の「シカゴ」まで(作曲&歌曲を除けば)アカデミー賞に絡む作品無かったしな~
あっ!「美女と野獣」があった!ディズニーは全部そうか!
「雨に唄えば」の項目でもふれたけど…どうしてミュージカルって途中から3時間弱の大作ばかりになっちゃったんだろ?
テレビに対抗してワイドスクリーンに移行したのと関係あるのかな?
ただ対象を家族に向けるなら長過ぎません?
特に子供が鑑賞するにはちょっと酷だと思うけどな~だからディズニーは一環して統一してる訳でしょ
ベトナム戦争真っ只中で、西部劇同様アメリカンニューシネマに移り変わる転換期とはいえ
このジャンルもさすがに飽きられてきたのかな?
それを裏付けるように“二匹目のドジョウ”を狙って3年後に
ロバート・ワイズ監督&ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル大作「スター!」が作られましたが、
興行&批評共に惨敗しましたし…
映画祭で扱われてる本作と「ウエスト・サイド物語」からロバート・ワイズ監督って
“ミュージカル専門”みたいに見えるけどあらゆるジャンルをこなす名監督でしたね。
「地球の静止する日」「アンドロメダ…」のSFモノ
「キャット・ピープルの呪い」「たたり」のホラーモノ
「トロイのヘレン」の史劇モノ
「深く静かに潜航せよ」「砲艦サンパブロ」の戦争モノetc
そういえばスピルバーグは、ミュージカルを作ってないな~やはり難しいのかな?
まだ「キャッツ」「ミス・サイゴン」や、既に映画化されてる作品「レベッカ」「蜘蛛女のキス」etcあるのに…
それに何といっても“名編集マン”でもありました。
オーソン・ウェルズ作品はその代表作…特に監督2作目「偉大なるアンバーソン家の人々」では、
オーソン・ウェルズの居ぬ間に映画会社(RKO)からの強制で勝手にカットした当事者ですから!
今もこのバージョンしか観られないのが残念!
『サウンド・オブ・ミュージック』の投稿
大スクリーンで感動しました
昨日、TOHOシネマズ海老名のリカバリー上映で観ました。
45年位前でしたか、高校の時に地方の映画館で予告編を観ただけでしたが、その時のスケール大きさが忘れられませんでした。
その後、映画音楽は聞いていても、この映画を観ることはありませんでしたが、数年前に、LDやビデオでも観ましたが、あのときの感動ほどではありません。
この度、TOHOシネマズ海老名で観られて、大変感動しました。
しかも、「スクリーン2」での、縦、横ともフルスクリーンでした。
席は前から4列目の真ん中です。
あの時、予告編を観たときの感動そのものでした。
ありがとうございました。
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会ったことあるよ。
続きです。
1917年地中海マルタ島を基地として、駆逐艦 榊に乗り組んだ祖父は、猛威を振るう独・墺の潜水艦(Uボート)と戦います、6月には、U-27の魚雷を受け大破、乗員59名が戦死、多くの仲間を失いながら、1918年11月の休戦まで戦い続けます。
祖父いわく、白人でもキリスト教徒でもない日本人が、彼らに劣らないことを示したかっただけ、でも送って来る味噌や醤油が猛暑のインド洋で腐り食べ物が無く大変だったよ。
1920年祖父は、オーストリア領の海軍基地に進駐、そこに居たのは、潜水艦基地司令官のトラップ少佐でした、緊張して会った祖父に、下手な支那語(中国語)を話しかける司令と祖父の超下手な支那語で、すっかり打ち解けあったそうです。
映画では、トラップ大佐ですが本当は少佐です。独語の艦長のカピテンが、英語のキャプテン・大佐と誤訳されました。
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写真帖に残るトラップ少佐は、黒髪でひげを生やし愛嬌のある顔です、プラマーとは大違い。
1922年日本に帰った祖父は、大正天皇から直接、杯を受け(我が家の家宝です)後、長崎の造船所に勤務しました。
トラップ少佐は、20年に退官、ドナウ汽船会社を創立し、38年までザルツブルグに住んでいます、その間が映画の舞台です。
大恐慌で、破産した一家は、合唱団になり船で渡米しますが、58歳になる彼にナチスが招集する筈がありません、せいぜい
かっての英雄として宣伝道具くらいでしょう、大佐の先の奥さんはイギリス人で、彼も世界を旅しアメリカが気に入り自ら移住したのでしょう。
映画とは、あまり関係ない文ですが、本当のトラップ少佐と日本との関わりを書きました、失礼しました。
『サウンド・オブ・ミュージック』の投稿
世代を超えて・・・
この映画を今日の午前十時に山形県酒田市から
秋田県秋田市に見に行きました。
映画は音楽や大自然の撮影が素晴らしかったです。
この映画を見る前に
50,60代くらいのご婦人から
「あなた何見るの?」と声をかけられて
サウンド・オブ・ミュージックですと答えて
21歳ということと酒田市から秋田市に
映画を見に来たことに驚いていて
上映後もいろいろと話して
その方が務めているラーメン屋の
「支那そばほぬや」( 店主のブログameblo.jp/alohajourney/)
でラーメンをおごってくれて
その後に連絡先を好感して映画友達になりました。
その方は「サウンド・オブ・ミュージック」を
リアルタイムで当時住んでいた東京でみて
この作品が大好きで
この映画が縁で自分と友達になれたことを大変喜んでくれていました。
映画の内容はもちろんですが
映画がきっかけで友人ができるという・・・
映画ってホント素晴らしいですね!
