感謝!感激! - 「サウンド・オブ・ミュージック」
- 映画館やビデオ・DVDで何度観たことか!
思い出せば…。65年の初公開時、満員の映画館で連続2回。半年後、小さな町での上映を探してまた2回。70年のリバイバルでは、片道3時間以上かけて大阪の梅田スカラ座へ。75年のリバイバルでは、東京へ就職していたので、日比谷スカラ座や渋谷スカラ座で何度も。それから、新宿武蔵野館、スバル座、そして日劇の最後の時に。
地方に戻ってもう映画館では死ぬまで観ることはないだろうと思っていたのに、また観ることができるとは…。この喜びを何と表現したらいいのだろうか。感謝と感激でいっぱいです。 - サウンドオブミュージックを初めて見たのは1975年、なんばの千日前セントラル劇場でした。その日は雨の降る日曜日だったと思います。クラスメートと二人で行きましたが、劇場に到着したのは
一回目の上映が始まってから一時間が経過していたエーデルワイス
のシーンでした。二人座れる空席が見当たらず別々に座席に座って
見ました。私が座ったのは最前列の一番左端で、物凄い角度で画面を見ていました。2回目が始まる前の休憩で良い座席を確保して見ましたが、1回目の途中から見たからか何も感じないまま劇場を去った記憶が有ります。クラスメートは感激しておりましたけどね。
ただ、劇場から遠ざかるにつれてサウンドオブミュージックの看板を何度も振り返って見ていました。
転機は1年後に訪れます。TV初放送は日曜洋画劇場で淀川長治氏の解説でしたね。ほとんどストーリーを忘れていた私は後半のお墓のシーンでハラハラドキドキ。そして、フィナーレで一大感動しました。以来、劇場で上映する度に追っかけをしていましたね。
千日前セントラル→梅田ニューOS→丸の内ピカデリー2→渋谷パンテオン(70ミリ)→銀座テアトルシネマ+名画座他。
70ミリで見たのは渋谷パンテオンのみなのがちょっと寂しいですね。初公開の劇場で、梅田スカラ座で、日比谷スカラ座で、日劇等、70ミリで何度もご覧になられて羨ましいです。
初公開時の梅田グランド劇場やなんば大劇場でご覧になった方の当時の様子をお聞きしたいです。 - なんば大劇場ではありませんが、70㎜の大画面で観ることができました。上映前、最初、シネマスコープの小さな画面でしたが、暗幕がだんだん広がっていき、最後は壁面いっぱいの大スクリーンになりました。その時の驚きは今でも覚えています。
地方に住んでいたので、初公開時(1965年)なんば大劇場では残念ながら観ることができませんでした。大劇場というぐらいですからきっと客席の多い大きな映画館だったのでしょう。
一度は行って、お礼を言いたかったのですが、その願いも叶わぬまま閉館、そして取り壊し(多分)になってしまいました。
そのお礼というのは、初公開から多分1年以上が過ぎた頃のことです。権利の関係でもう日本では上映されないということで2週間程度のアンコール上映がありました。
その時、私は、「サウンド・オブ・ミュージック」の宣材をください、と劇場に手紙を送ったのです。他県に住んでいて、決してなんば大劇場に行くことができない少年に、何と30㎝四方の見開きジャケット(これもオリジナルな宣材です)にスチール写真数枚他を入れて送ってくれたのです。「これからも何か欲しい物があったら言ってくださいね。」というあたたかい手紙を添えて。
いつの間にか殆どの物はなくなってしてしまいましたが、大好きな場面の2枚のスチール写真だけは、アルバムの若かりし頃の私の写真の横に今でも貼ってあります。
美しい映像と共に、なんば大劇場さんの優しさをいつまでも忘れることはないでしょう。そして、大阪のあたたかさも。 - この映画と一緒に育って来ました。
でも、自分の人生で映画館で観れるとは思っていなかったので、正直観れて本当にびっくりしている、という感じです。
オーストラリアン・アルプスのすばらしさ。教会の建物のステキさ。結婚式の臨場感。
どこを切り取っても映画館ならではのものですね♡
映画は残せる媒体なので、もっと皆が観てくれるといいなあ、と思います。
うちの子供も小3の時にDVD見せたらすごい喜んでいたので、今回は連れて行けなかったけれど
又、上映されることを深く深く、希望します。
そうそう、子供時代に分からなかった事も大人になって観ると分かるんですね。
男爵夫人・・・けっこう良い人じゃん・・・みたいな(笑)
又、トラップファミリーと映画館で出会えますように! - 日本初公開の時、親に難波に連れて行ってもらって大きなスクリーンで見ました。「もうすぐ51歳」様の情報からするとなんば大劇場だったのかしら? 入れ替えの無かった当時、当然のように途中から見た気がしますが、割と最初の部分からだったような(ギターを抱えて行く町並みからだった気がします)。
2回目は友人と地元の小さな映画館の2本立てで見ました。併映が何だったか覚えてないくらい、こちらに感動しました。
初めて見た時、ペギー・ウッド演じる院長の台詞で「神様は扉を閉ざされても必ず窓を開けて下さいます」みたいなことを言っていた部分、あれから何度見ても同じ言い回しの台詞が無いのが悲しいです。少しは原文がわかるようになってみると、素晴らしい意訳だったと思うのですが、最初の時の字幕とリバイバルの時の字幕が変わっていたのでしょうか?
オーストリア旅行をしたいのは、マリアの僧院に行ってみたいから。あの結婚式の荘厳な雰囲気の礼拝堂、是非自分の肌で感じたいと思っています。 - は4月に51歳になりました。
本日、5月15日(日)は記念的な日になりそうです。大阪で「サウンドオブミュージック」を映画館で鑑賞するのは、1980年に
リバイバルされて以来ですから・・・。きっと、至福の3時間になることでしょう。
今日は一人だけれど、平日には友達と二人で観に行くことも決まっていますので、ウキウキ、ワクワクしている今日この頃です。 - とうとう難波で見ることができました。残念ながら閉館してしまったなんば大劇場ではありませんでしたが、なんば大劇場さんに45年来の感謝の気持ちを込めながら映画館での鑑賞となりました。
少し残念だったのが、フィルムの劣化の為か色彩がややくすみ、時折チカチカ(いわるる軽い雨降り状態)が入っていたことです。しかしながら、やはりスクリーンの魅力に勝るものはありません。45年前の自分に戻り、新たな感動生きる勇気をもらいました。
もしかすると、「もうすぐ51才」さんと同じ時に見ていたのでしょうか。終わった後、数人が拍手をされていましたが、そのうちのお一人でしょうか。
1ヶ月後には当地で上映されます。地方都市ですから大阪のように満員での鑑賞にはならないでしょうが、今から楽しみにしています。
「瞳はダイヤモンド」さんへの答えになるかどうかわかりませんが、公開当時「神様は扉を閉ざされても、必ず窓を開けてくださいます。」の訳は、「自信を持って」の歌の直前、壁のキリスト像に向かってひとり言を言った時に使われています。
原文は、When the Lord closes a door, somewhere he opens a window.です。初公開当時は、高瀬鎮夫さんの字幕で確かにそれに近い訳になっていましたが、今回の森みささんの字幕で「道はきっとどこかに通じるわ。」でした。原文に近いし、役が修道女ということを考えれば、高瀬鎮夫さんの方がふさわしいかなと思います。 - 本日、18日(水)今回2度目の鑑賞をして来ました。
日曜日のように超満員では有りませんでしたが、それでも7割ぐらいは入っていたでしょうか・・・。
「サウンドオブミュージック」は、30年も前から意図的に満員の時間帯を選んで観に行くようにしていました。日曜日の1回目とお昼とか・・・。満員の映画館に溢れる温かい笑い、爽やかな感動とたくさんの観客と楽しんでいる一体感は一生忘れることが無いでしょう。その雰囲気を味わえるのが至福のひと時でした。
日曜日に拍手が有りましたが、私も本当は拍手したいんですよね、心から。その日、私の座席はH-19でした。
もうすぐ60歳の方は岡山県からいらっしゃったのですね。なんば大劇場でご覧になられた経験をお持ちで羨ましいです。この大劇場で映画を観た経験は一度もなく、1970年代半ばに閉館されたようですね。古書店で購入した「南太平洋」のパンフレットに劇場のイラストが描かれていたのを覚えています。
今年の大阪での上映はもうすぐ終了ですが、岡山での上映でも、たくさんの人が見に来てくれたらいいですね。
来年は梅田で上映される可能性も有りますので、その時もまた、必ず。
それと、2015年、製作50周年の上映も実現することを願っております。 - ご教示ありがとうございました。
明日まで梅田で上演中のミュージカルの中でもこの一節が使われているので、聖書の中の言葉かな?と思ったりしています。
先週まで、というか一昨日までTOHOなんばでの上映だったのですね。テリトリーは梅田なので、来年「青の五十本」が今年の「赤の五十本」同様一日中上映となるよう祈りつつ待っています。
来年を待ちきれないので来月は西宮まで遠征しようかしらん・・・ - もうすぐ51才 様
残念ながら、私は、なんば大劇場に行ったことがありません。先日書きましたように、今から45年程前になんば大劇場さんからサウンド・オブ・ミュージックの宣材を送っていただき、親切にされた思い出のみなのです。
なんば大劇場で鑑賞したかったのは勿論ですが、取り壊しになっていては願いが叶うはずはありません。せめて難波の地で見たかったのです。45年越しの願いが叶ったという気持ちです。ご指摘のとおり、私は岡山在住です。
私は、日曜日、E-14で鑑賞いたしました。隣には若い女性4名が座っていました。きっと、私と同じくらいの年齢の方ばかりだろうと思っていましたので少々驚きでもありました。若い方にも映画館で見ていただいたこと嬉しく思いました。
瞳はダイヤモンド 様
「When the Lord closes a door,…」の言葉は二度使われていたのですね。「何かよいこと」のシーンで、「院長がそう言った」と、マリアが大佐に告げています。私は、マリアが修道院を最初に出るシーンの自分を勇気づける時だけしか言っていないと思っていたので嬉しい発見です。この台詞はそれだけ重要だということなのでしょう。
この言葉が聖書の言葉かどうかインターネットで調べたのですが、殆どがサウンド・オブ・ミュージックで使われた言葉としての説明でした。「聖書の言葉」でも検索してみましたが、それらしき言葉は出てきませんでした。脚本家がこの映画用につくったのかなと思います。しかしながら、別のミュージカルでも使われているとなると、映画のオリジナルではないのかなという気もしてしまいますが…。
来年、梅田で上映されることを、私も願っています。 - 本日、読売新聞の記者?から突然電話が有りました。
午前十時の映画祭で上映されている「サウンドオブミュージック」
についての想い出などを投稿したのですが、来週発売の新聞に載せるとのことで、内容の確認が行われました。
もうすぐ60歳様へ
私もなんば大劇場に行ったことは一度も有りません。西日本を代表する大スクリーンだったそうですね。
手元に有る映画資料では、1973年に「十戒」が上映されてヒットしていますが、その後、なんば大劇場はすぐに閉館になっていると思われます。
「南太平洋」もなんば大劇場でロードショー公開されているようで、昔、古書店で購入した「南太平洋」のパンフレットには、なんば大劇場の内部の写真が掲載されていたように記憶しております。
六本木では一番大きな20メートル幅の大スクリーンで上映されたようで、羨ましく思います。 - 去年、映画祭を知り上映作品をチェックしたところ、すでに六本木での上映は終わったあとでした。
約1年経って、また見るチャンスが得られたのを、うれしく思います。
見られて良かったです。感想しました。
マリアが戻り、大佐と心が通じる影絵のような場面がとても美しく、涙が出そうでした。 - 1985年、大阪で「サウンドオブミュージック」はリバイバル
されたのでしょうか?
当時、私は東京に住んでおりましたが、都内3館での上映でした。
もともと、70ミリ映画として製作された作品ですので、リバイバル
の度に上映される映画館が小さな映画館になっていく寂しさを感じた
ものです。
70ミリの疑似体験をするには東京、神奈川に行かなければもう無理
でしょうか?
大阪にも20メートル幅サイズの映画館が出来ればうれしく
思います。 - 47年前のこの映画は、老若男女誰でも鑑賞出来る最高の名画でした。数年前のオーストリアの旅であのザルツブルグに立寄った際にミラベル庭園を訪れた時は感激しました。あのドレミのシーンはここで撮影したのだ・・・自転車で走行したあの花園はここだ・・・などと懐かしさと想い出が交錯した楽しい一時を過ごしました。次は是非サウンドミュージック・ツアーに便乗したいと期待しております。今年はお陰さまで10時の映画館の情報から日比谷みゆき座にてこの映画を鑑賞出来ました。ありがとうございました。
- TOHOシネマズなんばで映画館における30数回目の「サウンドオブミュージック」
を観て来ました。今は亡き映画評論家の水野晴男さんが映画館で「風と共に去りぬ」
を30回も観たとおっしゃっていましたが、水野さんに並んだという感じです。
音楽祭に於けるエーデルワイスのシーンでは再び涙が出ました。 - 水野晴朗が正しいという事が判りました。
- 高校の音楽の授業で、先生が授業の一環として見せてくださったのが出会いです。
毎回のように笑いと涙!はらはらドキドキ。
全員が週1回の授業を楽しみにしていたことは言うまでもありません。
授業が終わると、全員涙で目が真っ赤、ということも度々ありました。
小さなテレビの画面で観たこの映画を、20数年経った今、大スクリーンで
観ることの出来る有り難さ。選考委員の方、ありがとうございます!
追記:他にも「ブルースブラザーズ」「天使にラブソングを」「椿姫」
「オーケストラの少女」など授業で観せて頂きました。
多感な時代に触れたもののお陰で今の自分があるなあと、年を経て思います。 - 映画「サウンドオブミュージック」が2015年に公開されてから、今年で50年。
遂に、50年か!という感じです。
初公開されてから、世界中にこの映画のファンを産み出して来ました。
先日、テレビ放映されたアカデミー賞でもトリビュート・サウンドオブミュージック
ということで、レディ・ガガがメドレーを歌って拍手喝采を浴びました。
その後、マリアを演じた79歳のジュリーアンドリュースが登場。会場はスタンディング・
オベーションに包まれました。
まだまだ、元気なジュリーアンドリュースには映画に出て欲しいですね。 - 日本語吹き替え版がTOHOシネマズで50周年記念上映されるのですね。
観に行こうかどうか迷っているところです。魅力は何といっても、ジュリーアンドリュースの歌ですからね。 - 公開当時、小学生だったので、親に頼み込んで連れて行ってもらいました。
当時は確かに、入れ替え制じゃなかったので、途中から入って、階段で
座って見て、ラストで人が入れ替わるときにササッと席に座りました。
懐かしい光景ですよね。
以来、初めて買ったLPレコードをすりきれそうなくらい何度も聴いて、
学校の帰り道では、メチャクチャな英語?で歌いながら帰ってきたり。
リバイバル上映の時には、必ず見に行き・・・。もちろんCDもDVDも持っています。
本当に、私の人生と共にある映画でした。
人生の一本、に選ぶとしたらこれですね。
リバイバル上映というものがなくなってしまった今、
こういう形の上映は本当に嬉しいです。
12月の上映、心待ちにしています。 - 子どもたちとの最初の出会いの時の、個々の子どもたちへの当意即妙な返答に、一人一人の子どもを尊重する姿勢を感じ、マリアの人間性の豊かさ、素敵な人間力を感じた。
また、子どもたちが本当に求めていることは父親の愛情であることを強く訴えるシーンは、心強く、勇気づけられた。
マリアの指導の結果、子どもたちが主体的に客人に歌を披露している場面で、大佐が歌への心を蘇らせ、遂にはエーデルワイスを歌うところで、ホロリときた。
最も印象に残ったのが、やはりジュリー・アンドリュースの声だ。ドレミの歌の最後の高音に、聴き惚れてしまった。
最後のステージの後の逃亡シーンも、人の善性を信じたこの作品の在りようを感じ、このような展開にしてくれた監督に感謝した。 - 1975年秋、サウンドオブミュージックがリバイバル上映されました。私は中学3年生。その年の
お正月に、同じく劇場リバイバルされた「メリーポピンズ」でジュリーアンドリュースという女優の
存在を知り、ジュリーアンドリュースを追いかけるようになりました。
このころ、確か、日曜日だったと思いますが「映画の窓」というテレビ番組が朝の8時から流れていて、
「サウンドオブミュージック」のドレミのシーンを見ることが出来ました。
「よみがえるこのメロディー、あの感動をもう一度、だれもが心を打たれた愛の最高ミュージカル」
と女性の明るい声が聞こえました。ラジカセに録音して、何度も聞きました。そのカセットテープも
引っ越しで紛失して残念無念。
世界中で「サウンドオブミュージック」ほど愛されている映画はないでしょう。
こちろん、今回も見に行きますよ。ジュリー長生きしてね!
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